BLACKPACKAGE設立
2009-06-09


まずはFRONTIER設立で、外注制度を確立した。
まあ、トゥインクルの経理をやっていた自分にとっては
何てことは無かったが。
Discoveryでソフトを出せていない事も、
この事をやりやすくしていた。

しかし、処女作RONDO/FRONTIERの売上は芳しくなかった。
出来も、それなりの物だった。

だが、踊る音楽モードの評判はすこぶる良く、
続く殻の中の小鳥でも採用した。
たしか、似たような物がトゥインクル☆スターにも
あったが、インパクトは断然こちらが上だった。

それと、DONOVAN氏との出会いが重要だった。

気分一転、新ブランド名をどうしようかと思ったが、
ふと、裏ビデオのパッケージを見て、
ああ、たしかこれって、
ブラックパッケージって言うんだよな。
と思って、BLACK PACKAGEの新ブランド名を決めた。
FRONTIER路線とは変更して、
最初から、ハード陵辱路線で行こうと決めていた。

どうにかDiscoveryの真の社長を説得できた。
(Discoveryの社長は、傀儡政権で真の社長が別にいた)

処女作、魅惑の調書はシナリオの桜吹雪氏と大越氏の意図で
ハード陵辱路線から、いつの間に実妹のでる、
純愛ゲームに変わっていた。
パッケージに騙された人は多かったと思う。
しかし、売上はなかなか良かった。5000-6000本位。

下請けなので、自分がお金の配分をし、ギャランティーは、
自分120万、原画とシナリオが120万円づつという
割り振りにしていたと思う。
60万円を、独立の際の資金という名目で自分が預かった。

次は殻の中の小鳥。
[歴史]

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